帰国子女で
往年の演歌歌手、藤圭子の娘。
若干15歳にして、作曲も作詞も手掛ける
実力派の逸材として知られる
宇多田ヒカルさん。
今回は、そんな
宇多田ヒカルさんの結婚相手をテーマに、
旦那様のプロフィールや挙式の様子を含め、
以下のトピックでご紹介します。
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宇多田ヒカル結婚式はいつ?
宇多田ヒカルさんが
結婚を発表したのは、
2014年5月24日のこと。
自身のブログで、
白いウェディングドレスに身を包み、
ご主人と並んで笑顔で座る
控えめなウェディング姿を披露しました。
出典:http://www.utadahikaru.jp/gallery/main11_j.htm
宇多田ヒカルさんの旦那様は、
イタリア人の一般男性。
お名前は、
「フランチェスコ・カリアーノ」さん。
(Francesco Callian)
ヒッキーこと宇多田ヒカルさんと、
カリアーノさんのご結婚は、
イタリア現地でも話題になり、
メディアにも取り上げられたほど。
出典:http://www.utadahikaru.jp/gallery/photo/01.jpg
ご結婚当時、
カリアーノさんは23歳で、
宇多田さんよりも8歳年下。
結婚式は2015年5月23日に、
プーリア州の「ポリニャーノ・ア・マーレ」
(Polignano a mare)
で行われました。
プーリア州は、
長靴のような形をした
イタリア半島のかかと部分です。
気候は温暖で、
青く澄み渡った海がとても美しい州
として知られています。
中でも
「ポリニャーノ・ア・マーレ」は、
断崖絶壁の上に広がっており、
イタリアでも最高に海のきれいな街のひとつ。
そんな絶景のロケーションで、
宇多田ヒカルさんの挙式は
どれほど笑顔と幸せに満ちていたことでしょう?
宇多田ヒカル結婚相手旦那様はどんな人?
実は、
宇多田ヒカルさんのご結婚相手は、
一般人男性という事情もあり、
当初旦那様の名前は
伏せられていました。
ところで、
デビュー当時の宇多田ヒカルさんを知る方は、
宇多田さんの名前を聞くと
「first love」をイメージする方も
多いのではないでしょうか?
宇多田ヒカルさんは、
デビュー当時、
こんなコメントを残しています。
「デビュー後は、
当たり前の自由がなくなり
後悔の気持ちと、
もう後に戻れない、
という気持ちが錯綜していた」
そんな
素直な心境を語っている
宇多田ヒカルさん。
自分のせいで、カリアーノさんや
そのご親戚、ご友人にまで
迷惑が及ぶことを、とても気遣っており、
配慮されていた様子が、
このエピソードからも伺えます。
そんなカリアーノさんの職業は、
元バーテンダー。
もともと、
ロンドンの名前の知れたホテルで
働いていて、
共通の友人を通じて知り合ったそう。
実は、
結婚式に先立って、
2014年2月10日に、自身のオフィシャルサイトに、
宇多田ヒカルさんだけでなく、
カリアーノさんも、婚約者として
以下のようなメッセージを寄せています。
イタリアのファンの皆様、報道関係者の皆様、その他関心を寄せてくださっている皆様へ
イタリア人の一般男性と私の結婚が、イタリア国内で予期せぬ大反響を呼んでいるため、この場で私から一言、そして私の婚約者から彼自身の言葉でご挨拶をさせていただきたいと思います。(主にイタリアのメディアに向けた英語・イタリア語の原文から日本語に訳されている文章であることをご了承ください)
■イタリアのファンの皆様、報道関係者の皆様、その他関心を寄せてくださっている皆様へ
私とイタリア人の一般男性との結婚が、イタリアでこれほど注目を浴びるとは全く予期していませんでした。
私にとって彼はただ「大切な男(ヒト)」であり、彼にとって私はただ「大切な女(ヒト)」です。出会いの経緯について多くの問い合わせを頂いておりますが、事実はつまらないもので、共通の友人を通して知り合いました。私よりも若い彼ですが、家族・友人・仕事・人生・愛などについての価値観は私よりもしっかりしている部分が多々あります。ご家族と触れ合い、その理由がよく分かりました。
イタリアでの暖かい反響にとても感動していますが、どうか彼と彼の家族のプライバシーを尊重して頂けますようお願い致します。世間の注目の的になることは精神的に大きな負担であり、恐いものでさえあります。私のせいで私の新しい家族が辛い思いをしたり危険な目に合うのは、とても悲しいです。
私のファンが、結婚式当日、式場へバスツアーを企画しているという噂を耳にしました。ファンの皆さんのご支援にはいつも、本当に感謝しています、そして祝福のお気持ちに感激しています…なのでこんなことを言わなきゃいけないのはとても心苦しいのですが、結婚式はショーではないということをどうかご理解ください。より適切な環境でお会いできる日を楽しみにしています。
結婚式などの様子は、写真にて公表させていただきたいと思います。当日発生し得る混乱を少しでも避けることが出来れば、と願っています。
ありがとうございます。
宇多田ヒカル
出典:http://www.utadahikaru.jp/from-hikki/both/
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みなさん、こんにちは!
ヒカルの婚約者です。既にご存知かと思いますが、ロンドンのホテルでバーテンダーとして働いています。私はバーテンダーという堅実な仕事をし、それにより地道に生活を営んでいます。他の人と何も変わりません。私は普通の家庭で育ちました。私の家族は故郷の町の皆から愛され慕われている誠実な人たちで、私に正直さ、愛、献身、勤勉さの意味を教えてくれました。家族は私に多くを望むことを求めたことはなく、ただ希望と勇気をもって人生に向き合う道を示してくれました。
私のような普通の仕事をしている平凡な男が、ヒカルのようなスーパースターと一緒になるということが不思議に感じられるかもしれません。私自身も初めは信じられませんでした。
私たちは出会い、時とともに互いのことを知るにつれ沢山の共通点を発見しました。その共通点の一つが、相手に対する気持ち、互いへの深い愛でした。
正直なところ、ロンドンで将来を切り開いてみようと故郷のプーリアを出た時には、まさかこのようなことになるとは夢にも思いませんでした。しかし、これは神が定めた事であり、私はそれを信じます。
少ない言葉ではありますが、このメッセージを私の自己紹介とさせて頂きます。ファンやメディアの方々、そして私が本当に誇りに思っているイタリアの皆さんにお願いします。どうか私の未来の妻となる女性と私の第二の父となる宇多田照實さん、そして私の家族に対し、彼らの生活を尊重し暖かく見守ってください。
皆さんのご理解に感謝いたします。
心を込めて
フランチェスコ
宇多田ヒカルのイタリアでの結婚は必然?
宇多田ヒカルさんが帰国子女で
海外の文化に対しても懐が深く、
語学も堪能という点は理解していたとしても、
本当に「イタリア人の旦那様と
イタリアで結婚式」を挙げてしまう大胆さに
驚かれた方も多かったのではないでしょうか?
実は、遡ること15年以上も前のこと、
宇多田ヒカルがデビューする前の
プロモーション用パンフレットには
行ってみたい場所として
国の異なる3か所の地名が
こんな風に挙げられ、
パーソナルデータとして残されていました。
【行ってみたいところ】
●京都、
●ヨーロッパ(特にイタリア。イタリア語を習ってみたい)、
●メキシコ
特に、宇多田ヒカルさんは、
ヨーロッパの中でも、イタリアを名指しし、
イタリア語に対しても強い関心を
お持ちだった様子。
彼女の敏感な感性は、
独特の感覚でメロディーをつかみ、
詩を紡ぎながら、心の琴線に響く
楽曲をゼロから生み出します。
楽曲を、自らの手で無から生み出すといっても、
なにもないところに詩は降ってくるのではなく、
あの、宮沢賢治の詩集も含め、
たくさんの美しいことばを手にとり、
自らその世界観にも触れるなど、
海外にいながら
着実に日本の文化を見つめつつ、
魂を込めて作品作りに向き合う様子が、
彼女のtwitterからは伝わってきます。
そんなわけで、
ヒッキーにとっては、
イタリアは憧れの地であり、
イタリア人男性との結婚も、
もしかしたら、偶然のような必然
だったのかもしれませんね。
宇多田ヒカルの父心配尽きず
女の子の親というものは、
いつの時代も心配がつきないものですが、
宇多田ヒカルさんのお父様とて同じ。
2001年秋に発行されたフリーペーパー
『Utada mag(うたマガ)』vol.1には、
宇多田ヒカルの父・宇多田照實が
東芝EMIのプロデューサー・三宅彰と行った対談が
掲載されています。
そして、その最後にはこんなくだりが。。。
「ただ、男で失敗して欲しくないなと思ってるから、
ほんといつも言ってんの。うん。
『ちゃんと、合った良い男と付き合ってね』って。うん」
真実かどうかは疑念の余地もありますが、
一部報道によると、
カリアーノさんは、
結局バーテンダーを辞めたそうで、
そのことに対する賛否両論もあるようです。
出典:http://www.utadahikaru.jp/sakura/
そんな心配を一掃するかのように、
2016年活動を再開した
宇多田ヒカルさんは
バッサリ!
「私が人生のパートナーに求めるもの
ランキングの最下位:経済力」
とご自身のブログで発信。
一方で、
宇多田ヒカルさんは、
一児の母となったことを、
2015年7月3日に、喜びの声とともに
自身の公式サイトで報告。
≫宇多田ヒカルさんの公式サイト
人生、いろいろな夫婦の形があり、
いろいろな暮らし方のオプションがあります。
なかでも、宇多田ヒカルさんは、
自身の持つ多彩な才能ゆえ、
生活&育児の場所も、収入を得る方法も、
自分の思いに誠実に、
自由に選び取ることができる状態を
獲得されている
と言えるのではないでしょうか。
彼女が紡ぎだすメロディーと詩には、
彼女が向き合ってきた様々な涙とともに
秘められた奥深さも、見え隠れします。
奇しくも、
宇多田ヒカルさんと共演した
日本を代表するアーティスト
井上陽水さんは、
彼女の存在をこんな風に表現。
出典:http://www.utadahikaru.jp/15th/album_info.html
宮沢賢治の詩に
インスピレーションを受けて
楽曲を創る一方で、
日本人アーティストの中で随一との
評価を受ける英語力でもって
海外での生活を実現し、
且つ20代30代のうちに実の母と別れ、
また自身が母となった宇多田ヒカルさん。
ちなみに、
ネイティブ並みに流暢と言われる
宇多田ヒカルさんの英語は↓こんな感じ。
彼女の独特な感性と、
豊富な人生経験に支えられて、
今後ますます円熟した
彩に満ちた楽曲がリリースされ、
人々を魅了していくことと思います。
そんな宇多田ヒカルさんが
ようやく獲得した、日々の平穏と、
ささやかな小さな幸せの連続が、
長く続き、またより大きなものとなるよう、
心をこめて願わずにはいられません。
どうぞ末永くお幸せに!
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